全国の数ある大学や学部・学科の中には、実は“その筋では有名”という名門がある。今回は、その1つである明治大学文学部史学地理学科の考古学専攻を紹介しよう。
国の重要文化財である猿の埴輪(東京国立博物館蔵)の出土で名高い茨城県行方市・大日塚古墳の発掘調査風景。
日本で初めて弥生時代の水田跡が発見された静岡県登呂遺跡の発掘調査で明治大学文学部が重要な役割を担ったことを契機に、1950年に設立された。私立大では日本で最初の考古学専攻。
縄文時代以前の文化を初めて立証し、日本史の教科書を書き換えた群馬県岩宿遺跡や、世界最古級の土器を発掘した神奈川県夏島貝塚をはじめ、さまざまな時代の重要な遺跡調査を手掛けた実績が豊富。
『日本古墳大辞典』『続 日本古墳大辞典』(順に1989年・2002年、ともに東京堂出版)など、“考古学の教科書”とも言える多くの書籍を、中心となって編集・刊行している。
考古学部分野ではかつて「西の京大、東の明治」と評され、担当教員陣も長い歴史や多くの実績に自負アリ! 日本考古学に貢献したい思いが強い先生ばかり!
遺跡や遺物といった歴史の証を発掘するのが考古学の醍醐味。写真は、茨城県石岡市・舟塚山14号墳周濠発掘調査。調査の結果、5世紀後半に築造されたこの円墳の規模が、当初は現在の2倍近かったことが判明した。
・各時代を専門とする専任教員が揃う!
専攻専任教員として、旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代の各専門家を5名擁するほか、学芸員養成課程に考古学専門の専任教員1名、附属の明治大学博物館や黒曜石研究センターにも考古学分野のスタッフが在籍する。
・学外の専門家による講義も!
学外から兼任・非常勤の教員も招聘し、日本の考古学だけでなく、中国・朝鮮・メソポタミア・エジプトについての講義も開講している。
・専門分野を深められる時間が長い!
入試の時点で専攻が決まっているので(一般に2~3年次以降の決定が多い)、1年次から考古学を深く学べる。
・実物に触れる機会が多い!
例えば2年次の必修授業「考古学研究法」では、14週ずつ土器と石器を実際に触りながら分析。長い時間をかけて、考古学の基本的な研究手法を学ぶ。
・遺跡の測量や発掘調査を行う実習がある!
教員が担当する複数の遺跡調査・研究が、常に同時進行していて、選択授業「考古学実習」では学生も測量・発掘調査や出土した土器の整理・分析作業を経験できる。
・博物館所蔵の資料も手づから分析!
附属の明治大学博物館所蔵の資料についても、学芸員の指導を受けながら、自ら触れて分析することができる(重要文化財に指定されたものを除く)。
茨城県石岡市・舟塚山古墳の測量調査。発掘不可能な大型古墳を、測量機器を使って計測する。
考古学が大好きな人はもちろん、「大学に入ってから本格的に考古学に触れる」という人でも大丈夫! 明治大学の考古学専攻では、1年次から段階を追って研究に必要な知識や手法を身につけていく。カリキュラムの一部を紹介しよう。
1年次から少人数のゼミ形式の授業を開講。必修の「基礎演習」では、発掘調査報告書や資料集成といった考古学という学問分野固有の出版物について、調べもの(リサーチ)の仕方を学ぶ。
先述の必修授業「考古学研究法」では、実際に土器と石器に14週ずつ触れ、図化しながら分析する方法を体得。こんなに長く実物に触れられる授業があるのは、明治大学だけかも!?
必修の「演習」では、旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・古墳時代とそれ以降の時代に分かれて、10人前後のゼミを組織。卒業論文のテーマを見つけるために、さまざまな論文を批判的に読解する力を身につける。
最終学年は、実物の考古資料や発掘調査報告書掲載の資料を分析し、3~4万字程度の卒業論文を完成させる。
つまり、1年次から専門的な知識や技術の下地を作りつつ本格的な論文作成に向けて準備する、4年間一貫したカリキュラムが組まれているのだ。
・鶴来航介先生
専門は弥生時代の木材利用。農具や容器、祭祀具といった木製品や建造物だけでなく、木屑や端材までも分析する。これまで見向きもされなかったそのような遺物が歴史を語り出す瞬間に出会うのは格別、とのこと。
・藤山龍造先生
専門は旧石器時代から縄文時代への大変革期。狩猟採集民の社会変化について研究している。日本を含む東アジアを中心とした、当時の社会変化と土器の誕生・拡散との関連を調べている。
・阿部芳郎先生
縄文研究の第一人者。明治大学内に研究所「資源利用史研究クラスター」を組織し、縄文時代の食文化について研究している。近年では、土器や遺跡の分析から、約5,000年前の製塩技術を明らかにした。
・佐々木憲一先生
専門は国家形成過程。国家前段階であった古墳時代の古墳(茨城県南部地域)と、北米先史時代ミシシッピ文化(紀元10~16世紀)のマウンド(墳丘墓などの土盛り建造物)を調査している。現在は、埼玉県五領遺跡(古墳時代前期・関東の基準となった遺跡)出土の土器も分析中。
・若狭 徹先生
近年注目しているのが古墳時代、特に6世紀前半の継体朝の動向。ヤマト王権や地方豪族、天皇位の継承ついて、考古学と文献史学の共同研究から証明することに注力している。2025年1月、その成果を出版(若狭徹編著『継体大王と地方豪族』吉川弘文館)。
「考古学実習」では、発掘調査などフィールドワーク以外に、出土した遺物を復元する整理作業も行う。
明治大学の考古学専攻が調査を手掛けた遺跡の中には、国指定史跡や出土資料が国指定重要文化財になっているものも多い。そうした実績の一部を、時代順に紹介する。詳しく知りたい人は、自治体等の紹介サイトに写真や情報が掲載されているので見てみよう。
群馬県岩宿遺跡:縄文時代以前の文化を初めて立証。1960年代以来の日本史の教科書を書き換えた!
埼玉県砂川遺跡:石器製作の各段階で廃棄された剥片を繋ぎ合わせて、石器製作工程を実証的に復元。遺跡のどこでどの段階の石器製作が行われたかも突き止めた。世界に先駆けてこの分析法=「個体別分析」を開発し、世界の旧石器考古学に貢献した。
神奈川県夏島貝塚(早期):ここで出土した縄文早期の土器は、同じ貝層のカキ殻と木炭が9420年前のものと測定されたことから、当時、世界最古の土器と騒がれた。日本の縄文土器が世界最古という評価を確立する契機となった。
宮城県山王囲(調査当時は「山王」)遺跡(晩期後半):縄文晩期の土器を、地層別に検出することに成功。土器の前後関係を確定させた。さらに、一部の地層はクルミなどの果皮からなる泥炭層で、漆器や獣骨なども多量に含まれており、土器以外の容器や、どのような動物を狩猟していたかも明らかにした。
福岡県板付遺跡(前期):弥生時代前期を代表する集落・水田遺跡で、日本で最古クラスの水稲耕作集落。
栃木県出流原遺跡:東日本で特徴的な「再葬墓」遺跡。再葬墓とは、一度埋葬して骨化した遺骸を掘り出して、一部の骨を土器に入れて、改めて埋葬し直した墓制のこと。
茨城県三昧塚古墳(中期~後期の移行期、5世紀末):未盗掘の石棺から、冠を着装した状態の遺骸を発見。鎧兜(甲冑)や耳飾り、馬具など、非常に豊富な副葬品も発見した。常陸南部地域において、古墳文化がどのように受容されたかがわかった。
茨城県馬渡埴輪製作遺跡(後期、6世紀):埴輪を焼成した窯、工人が焼成する前の埴輪を製作した工房、材料の粘土を採掘した跡、工人が利用したと考えられる住居跡を、日本で初めてセットで発見。
茨城県虎塚古墳(終末期、7世紀初頭):全国的に非常に珍しい、石室内に壁画を伴う装飾古墳。中央王権が所在した近畿地方では7世紀に前方後円墳の築造が廃れたが、その時期に築かれた前方後円墳であるため、常陸の豪族の中央王権に対する対応について考えさせてくれる。
長野県大室古墳群(中期~終末期、5世紀半ば~8世紀初頭):墳丘を土ではなく、石で築き上げた「積石塚」を主体とする、全国的にも珍しい古墳群。古墳には馬の頭部や馬形土製品が供えられており、朝鮮半島から招聘した馬飼い集団との関係が想定される。
山形県下小松古墳群(中期~後期、5~6世紀):中央王権から遠く離れた東北地方で、古墳文化がどのように受容されたかを知ることができる古墳群。埋葬施設は一般的な竪穴式石室でも横穴式石室でもなく、盟主墳で本来あったはずの前方後円墳の裾を一部壊して、下位に位置づけられるはずの円墳が築かれたといった点で非常に珍しい。
この記事は
「螢雪時代(2025年4月号)」
をもとに再構成したものです。
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