何を学ぶ
中国を中心として東アジアに広がっている、漢字を用いて文化を表現し、伝達する型を研究する学問。古代からの伝統を踏まえつつ、近年では新しい方法や対象も生まれている。

鈴木 将久(すずき まさひさ)先生
東京大学/大学院人文社会系研究科、文学部/教授
1967年、東京生まれ。東京大学卒。明治大学、一橋大学教授を経て、2018年より現職。中国近現代文学専攻。著書に『上海モダニズム』(中国文庫)、共訳著に『中国はここにある』(みすず書房)などがある。
古くて新しい中国文学
漢字がもともと中国の文字であったことはよく知られている。実は漢字を現在でも使っている国、もしくはかつて使っていた国は、東アジア全体に広がっている。日本のみならず、韓国、ベトナムでも、かつては漢字が文字として用いられていた。
漢字が用いられたというのは、単に言葉を表記する道具として使われたということではない。むしろ漢字を用いた文化が広く浸透したと考えるべきだろう。もちろん日本にせよ、韓国にせよ、ベトナムにせよ、それぞれ独自の文化を発展させている。ただ文化を表現し、伝達する型が、東アジアで共有されていたと考えることができる。それを漢字文化圏と呼ぶことがある。
漢字文化圏の源流が中国にあることは言うまでもない。東アジアに広まることになった文化のスタイルが、中国においてどのようにして生み出され、どのような特徴があるかを考えるのが、中国文学で学ぶ問題である。
漢字や詩歌の研究については、主として中国において、古くから大きな蓄積があった。ただ大学における近代的な学問として「中国文学」が成立したのは、東アジアが近代になってから、すなわち日本で言えば明治以降であった。おおまかに言えば、西洋の学問を受け入れるのと同時に、中国文学が近代的学問として生み出されたと言える。東京大学の歴史をひもとくと、1877年に東京大学が創設されたとき文学部が設立され、文学部のなかに「和漢文学科」が設置されている。
以上のように中国文学はまぎれもなく古い学問である。しかし言うまでもなく、中国文学研究の姿は、現在までに大きく変化してきている。特に近年、中国が大きく激動し、また東アジア全体が大変動しつつあるなかで、中国や東アジアの文化を考える中国文学のあり方も、当然のように変わりつつある。中国文学は、厚い伝統を踏まえながら、現代の息吹にも向き合う学問である。
漢字が用いられたというのは、単に言葉を表記する道具として使われたということではない。むしろ漢字を用いた文化が広く浸透したと考えるべきだろう。もちろん日本にせよ、韓国にせよ、ベトナムにせよ、それぞれ独自の文化を発展させている。ただ文化を表現し、伝達する型が、東アジアで共有されていたと考えることができる。それを漢字文化圏と呼ぶことがある。
漢字文化圏の源流が中国にあることは言うまでもない。東アジアに広まることになった文化のスタイルが、中国においてどのようにして生み出され、どのような特徴があるかを考えるのが、中国文学で学ぶ問題である。
漢字や詩歌の研究については、主として中国において、古くから大きな蓄積があった。ただ大学における近代的な学問として「中国文学」が成立したのは、東アジアが近代になってから、すなわち日本で言えば明治以降であった。おおまかに言えば、西洋の学問を受け入れるのと同時に、中国文学が近代的学問として生み出されたと言える。東京大学の歴史をひもとくと、1877年に東京大学が創設されたとき文学部が設立され、文学部のなかに「和漢文学科」が設置されている。
以上のように中国文学はまぎれもなく古い学問である。しかし言うまでもなく、中国文学研究の姿は、現在までに大きく変化してきている。特に近年、中国が大きく激動し、また東アジア全体が大変動しつつあるなかで、中国や東アジアの文化を考える中国文学のあり方も、当然のように変わりつつある。中国文学は、厚い伝統を踏まえながら、現代の息吹にも向き合う学問である。
中国文学の四分野
中国文学と言っても、範囲は広い。多くの場合、四つの分野に分けることができる。第一は漢字や言語の研究。文字をめぐる学問は、伝統中国において諸学問の基本とされていた。伝統を踏まえつつ、近代的な言語学の知見を取り入れて、漢字や言語について多角的に考えている。
たとえば漢字の歴史をとっても、実に複雑である。漢字の祖先は甲骨文字と言われる文字である。それがほぼ現在のような形の漢字として定着するまでには、およそ2,000年かかったという。その間にどのような模索があったかを探るのも、研究テーマの一つである。
第二の分野は、詩文と言われる詩や文章の研究。日本の学校で漢文として学習するのは、ほとんどこの分野である。中国では文言文と言われる。『論語』をはじめとする中国の経典的文書を書き写した言語であり、文化の精髄とされる。
中国の文言文で重要なのは、個々の表現が過去にどのように使われたかを踏まえて、自分なりの意味を込めることであった。中国の漢詩では典故を巧みに使うことが求められた。それによって中国文化の精髄のなかに自分を位置づけたと考えられる。近代的な感覚で個性を追求するというより、豊饒な中国文化の伝統をより豊かにする営みが重視された。
したがって、中国の詩文を研究する際にも、一つひとつの表現がどのように使われてきたかを見きわめ、表現の意味を読み解くことが求められる。中国文化の伝統の厚みを踏まえながら、個々の作品を鑑賞することが、研究の醍醐味となる。
第三の分野として挙げるべきは、『三国志演義』や『水滸伝』などの小説である。これらは白話小説と呼ばれた。白話とは庶民の日常の言葉に近い言語をさす。厳密に言えば白話も書き言葉であるが、話し言葉に近い言葉と言えるだろう。文言文が文化の精髄を書き写したとされるのに対して、白話は庶民の楽しみの文章を生み出した。日本でもよく知られているように、おもしろおかしい小説が大量に生み出された。
ただ、読んでおもしろいと言っても、大学で研究するとなると決して簡単ではない。たとえば白話小説は、言い伝えられたり、語り物として演じられるなかで別の話がつけ加えられたりして、さまざまなバージョンができ上がることが多い。そのなかの一つのバージョンだけが正しくて、他は誤りと定めることは不可能に近い。そもそも正しいバージョンなど存在せず、多くのバージョンが生み出されることが、作品の魅力を物語ることも多い。そこで多くのバージョンが生み出される過程そのものが、研究テーマになる。
第四の分野は、近現代の文学である。中国でも19世紀末以来、近代と呼ばれる新しい歴史的時代に入った。西洋から文化の型を学びつつ、自分に合った文化を生み出すべく苦闘した。そうした葛藤から、日本と同じように「近代文学」が生み出された。代表的作家として魯迅がいる。
近代中国の歴史が苦難と激動に満ちていることは言うまでない。歴史と同じように、中国近代文学の道のりも平坦ではなかった。一般に中国近代文学は政治的な作品が多いと言われる。実際には政治的でない作品もたくさんがあるが、いずれにせよ、歴史と深い関係を持っていることは否定できない。したがって中国近代文学を研究するには、作品の背景となる歴史や思想を広く理解することが求められる。
この四分野は、それぞれ分かれているように見えるが、実は深く絡み合っている。文言文を理解しなければ白話文学を読むことはできないし、中国語の仕組みを理解しなければ近代文学もわからない。四分野を総合的に学習することが、中国文学の研究では求められる。
たとえば漢字の歴史をとっても、実に複雑である。漢字の祖先は甲骨文字と言われる文字である。それがほぼ現在のような形の漢字として定着するまでには、およそ2,000年かかったという。その間にどのような模索があったかを探るのも、研究テーマの一つである。
第二の分野は、詩文と言われる詩や文章の研究。日本の学校で漢文として学習するのは、ほとんどこの分野である。中国では文言文と言われる。『論語』をはじめとする中国の経典的文書を書き写した言語であり、文化の精髄とされる。
中国の文言文で重要なのは、個々の表現が過去にどのように使われたかを踏まえて、自分なりの意味を込めることであった。中国の漢詩では典故を巧みに使うことが求められた。それによって中国文化の精髄のなかに自分を位置づけたと考えられる。近代的な感覚で個性を追求するというより、豊饒な中国文化の伝統をより豊かにする営みが重視された。
したがって、中国の詩文を研究する際にも、一つひとつの表現がどのように使われてきたかを見きわめ、表現の意味を読み解くことが求められる。中国文化の伝統の厚みを踏まえながら、個々の作品を鑑賞することが、研究の醍醐味となる。
第三の分野として挙げるべきは、『三国志演義』や『水滸伝』などの小説である。これらは白話小説と呼ばれた。白話とは庶民の日常の言葉に近い言語をさす。厳密に言えば白話も書き言葉であるが、話し言葉に近い言葉と言えるだろう。文言文が文化の精髄を書き写したとされるのに対して、白話は庶民の楽しみの文章を生み出した。日本でもよく知られているように、おもしろおかしい小説が大量に生み出された。
ただ、読んでおもしろいと言っても、大学で研究するとなると決して簡単ではない。たとえば白話小説は、言い伝えられたり、語り物として演じられるなかで別の話がつけ加えられたりして、さまざまなバージョンができ上がることが多い。そのなかの一つのバージョンだけが正しくて、他は誤りと定めることは不可能に近い。そもそも正しいバージョンなど存在せず、多くのバージョンが生み出されることが、作品の魅力を物語ることも多い。そこで多くのバージョンが生み出される過程そのものが、研究テーマになる。
第四の分野は、近現代の文学である。中国でも19世紀末以来、近代と呼ばれる新しい歴史的時代に入った。西洋から文化の型を学びつつ、自分に合った文化を生み出すべく苦闘した。そうした葛藤から、日本と同じように「近代文学」が生み出された。代表的作家として魯迅がいる。
近代中国の歴史が苦難と激動に満ちていることは言うまでない。歴史と同じように、中国近代文学の道のりも平坦ではなかった。一般に中国近代文学は政治的な作品が多いと言われる。実際には政治的でない作品もたくさんがあるが、いずれにせよ、歴史と深い関係を持っていることは否定できない。したがって中国近代文学を研究するには、作品の背景となる歴史や思想を広く理解することが求められる。
この四分野は、それぞれ分かれているように見えるが、実は深く絡み合っている。文言文を理解しなければ白話文学を読むことはできないし、中国語の仕組みを理解しなければ近代文学もわからない。四分野を総合的に学習することが、中国文学の研究では求められる。
中国文学を学ぶために
中国文学を学ぶために最初に必要なのは、現代中国語の学習である。多くの場合は大学に入学してから学ぶことになる。現代中国語は、日本人にとって学びやすい言語であるが、あくまでも外国語として学んでほしい。英語などと同じく、「読む・書く・聞く・話す」の四技能をバランスよく身につけることが望ましい。
中国文学の専門の授業には、講義と演習がある。より重視されるのは演習である。演習では、何よりも、中国文学の文献を一字一句まで正確に読み取ることが重要である。そのためには各種の辞書や参考書、さらには研究の蓄積を参照することが求められる。いくつもの本を参照しながら一つの言葉の意味を確定させるのは、地道で退屈な作業ではあるが、それによって中国文学の豊かな世界に近づくことができる。
しかしもちろん、中国文学の文献だけを読んでいても、十分ではない。中国文学とは文化の型なのであり、文化を知るためには、広く歴史や思想も学ぶ必要がある。さらには、古典を学ぶときでも、現在の中国に深い関心を持つことが望まれる。また近年では、中国文学を中国だけに限定することなく、東アジアの交流の視点から見ることも推奨される。
中国文学の研究とは、一つひとつの表現のような小さなレベルから、東アジアのような大きなレベルまでの問題を同時に考える、知的興奮に満ちた学問なのである。
中国文学の専門の授業には、講義と演習がある。より重視されるのは演習である。演習では、何よりも、中国文学の文献を一字一句まで正確に読み取ることが重要である。そのためには各種の辞書や参考書、さらには研究の蓄積を参照することが求められる。いくつもの本を参照しながら一つの言葉の意味を確定させるのは、地道で退屈な作業ではあるが、それによって中国文学の豊かな世界に近づくことができる。
しかしもちろん、中国文学の文献だけを読んでいても、十分ではない。中国文学とは文化の型なのであり、文化を知るためには、広く歴史や思想も学ぶ必要がある。さらには、古典を学ぶときでも、現在の中国に深い関心を持つことが望まれる。また近年では、中国文学を中国だけに限定することなく、東アジアの交流の視点から見ることも推奨される。
中国文学の研究とは、一つひとつの表現のような小さなレベルから、東アジアのような大きなレベルまでの問題を同時に考える、知的興奮に満ちた学問なのである。

