何を学ぶ
人間が生み出す全ての活動を「文化」と定義すると人文社会科学や自然科学という営みは文化学すなわち文化研究の対象になる。国際文化学や異文化コミュニケーションなどが主力。

池田 光穂(いけだ みつほ)先生
大阪大学/名誉教授
1956年生まれ。大阪大学大学院医学研究科博士課程単位取得退学。北海道医療大学助教授、熊本大学教授、大阪大学教授を経て、大阪大学名誉教授。文化人類学専攻。著書『実践の医療人類学』『暴力の政治民族誌』など。
文化とは何か
文化学という統合化された学問は現在のところ存在しない。にもかかわらず、日本の多くの大学に「文化」の名前を冠した教育組織(学系・学類・学群・学科など)が存在している。文化に対する市民の関心の高さと、多くの大学が学生に文化を学ばせることの意義を認識している証拠だと言えるだろう。これだけ文化に関する教育組織があるから、それを支える公式の学問にも「文化」を冠したものがたくさんあるはずだと皆さんは思うかもしれない。
しかし、これらの領域において文化を冠した公式の学問は文化人類学、カルチュラルスタディーズ、文化史、文化社会学、文化経済学、国際文化学など、数えるほどしか存在しないのである。
ここで、私の専門分野である文化人類学から「文化」を定義してみたい。文化とは、人間が後天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している/いた認識と実践のゆるやかな体系のことである。他方で、文化の定義について考えれば、考えるほど「文化」が何をさすのか専門家でも混乱することがある。その理由は、人々が考える文化の定義がきわめて多様であるからだ。
ざっくり言えば文化には決定的な定義がない、つまり決められないという面がある。にもかかわらず「文化の定義」に関わる議論は重要である。なぜなら、文化の定義を考えることは、人間の創造的営みの意義とその多様性について考えることにほかならないからなのだ。
したがって文化学を学ぶ意義とは、人間の文化の多様性(「複数の文化」と言う)と文化の普遍性・共通点(「単数の文化」)を明らかにするという二つの作業から成り立つ。
しかし、これらの領域において文化を冠した公式の学問は文化人類学、カルチュラルスタディーズ、文化史、文化社会学、文化経済学、国際文化学など、数えるほどしか存在しないのである。
ここで、私の専門分野である文化人類学から「文化」を定義してみたい。文化とは、人間が後天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している/いた認識と実践のゆるやかな体系のことである。他方で、文化の定義について考えれば、考えるほど「文化」が何をさすのか専門家でも混乱することがある。その理由は、人々が考える文化の定義がきわめて多様であるからだ。
ざっくり言えば文化には決定的な定義がない、つまり決められないという面がある。にもかかわらず「文化の定義」に関わる議論は重要である。なぜなら、文化の定義を考えることは、人間の創造的営みの意義とその多様性について考えることにほかならないからなのだ。
したがって文化学を学ぶ意義とは、人間の文化の多様性(「複数の文化」と言う)と文化の普遍性・共通点(「単数の文化」)を明らかにするという二つの作業から成り立つ。
文化学への招待
「文化」に関して教育する大学はさまざまな学問名称を名乗っている。この理由をどのように考えるべきだろうか。いくつかの仮説が考えられる。
①学問の進化よりも社会の進歩のスピードが速すぎて、制度的学問の分類がついていけない、②既成の学問の枠組みよりも、学生集めのために流行の用語である「文化」をつける傾向が大学にはある、さらに、③実はこれから新しい「文化学」というものが生まれつつある社会的前兆である、などだ。
期せずして結果的に文化学の王道(?)を歩んでしまった「文化人類学」の教育と研究を行っている私の経験から申し上げよう。つまり、この3つの仮説は、大学の教育組織においてフィーバー気味の「文化を名前の一部につけたがる症候群」の原因として、いずれもその可能性がある。だから「何となく文化学を学びたい!」という受験生の皆さんの気持ちは、激動する現代を生きている者の動機として、少数派の変わった選択では決してなく、むしろ多数派の由緒正しい選択であるということができるのだ。
①学問の進化よりも社会の進歩のスピードが速すぎて、制度的学問の分類がついていけない、②既成の学問の枠組みよりも、学生集めのために流行の用語である「文化」をつける傾向が大学にはある、さらに、③実はこれから新しい「文化学」というものが生まれつつある社会的前兆である、などだ。
期せずして結果的に文化学の王道(?)を歩んでしまった「文化人類学」の教育と研究を行っている私の経験から申し上げよう。つまり、この3つの仮説は、大学の教育組織においてフィーバー気味の「文化を名前の一部につけたがる症候群」の原因として、いずれもその可能性がある。だから「何となく文化学を学びたい!」という受験生の皆さんの気持ちは、激動する現代を生きている者の動機として、少数派の変わった選択では決してなく、むしろ多数派の由緒正しい選択であるということができるのだ。
文化学が必要とされる現代
私は、教え子たちから大学教師らしくない先生とよく言われる。それは、たぶん文化学の基礎学問とも言える文化人類学、そのなかでも医療人類学という一風変わった学問を勉強しているせいかもしれない。勉強したい分野を選ぶには、大学の先生方が言う「これだけのことができる」という宣伝文句を信じるのではなく、その大学の先生方が「どんなことをやっているのか」ということをよく調べなさいと私は助言している。
文化学が学問全体のなかでどのような状況にあるのか、そのことがわかれば、皆さんの文化学への関心もより具体的なテーマや個別学問分野に対して高まり、最適の大学選択を行うことができるようになるだろう。少し遠回りだけれど、こちらの方が将来のために有益だ。
まず、大学の学問が、文科系、理科系と分かれているのはご存知だろうか? 実際、高校の進学指導は、この二つの分野に受験生を区分することから始まる。理学部や工学部は理科系、文学や法学、経済学は文科系である。それは受験科目(数学、理科、社会)の選択でこのように区分されているからだ。
ところが事実は小説より奇なりと言う。実際は、勉強は文理を分けず相互に必要かつ重要なのである。
たとえば、経済学や地理学では数学の知識が重要視されているどころか、不可欠なものとされている。農学や工学、あるいは医学部では、エンジニアの倫理、生命倫理学や医事法学の知識が教えられるようになってきた。なぜなら、理科系出身の技術者が社会の基本的な成り立ちを知らないために、知らないうちに組織犯罪に手を染めたり、倫理上のミスをしたりすることが近年増加してきているからである。社会の仕組みがよくわからないと、立派なエンジニアにはなれない。
本来、文科系・理科系を問わず、人間が生きるためのこのような基本的な教育は、高校までに教えられるべきだと思わないだろうか? しかしながら、高校教育は大学受験中心の教育に偏しているし、多くの受験生にとっても大学が高等教育の最後の関門なので、教養を育む自分のための勉強を行う余裕はないことを痛感されていると思う。
そのため、大学に入ってから一般教養の履修で、文科系・理科系の区別なく学問を行うことの社会的意味について学ぶ、ということになっているのだろう。しかし、一般教養教育は大学教育のなかでもっとも不成功に終わったシステムで、過去十数年間に多くの教養部が廃止されたり、他の学部や大学院に吸収されてしまったりした。
しかしながら、実際には自然科学はバイオサイエンスやナノテクノロジーに代表されるようにどんどん進歩している反面、社会の常識すら知らない研究者が登場し、反倫理的な技術を開発したり、組織犯罪に発展したりするかもしれない深刻な事態は日々増えつつある。それどころか、情報技術の発達やテロリズムの暴発など、既存の人文科学や社会科学で解決できない新しい問題への取り組みが要求されるようになってきた。そこで、文化学への期待が一気に高まってきたわけである。
したがって、文化学を学ぶことに対して、次のような期待がなされている。さまざまな社会状況のダイナミックな変化に対して、①個々の社会文化現象を総合的に把握することができる、②理解に基づいて来るべき社会の姿を提言することができる、③また、そのなかで安全で充実した人生を送るための生活実践上の技術を学ぶことができる。
文化学が学問全体のなかでどのような状況にあるのか、そのことがわかれば、皆さんの文化学への関心もより具体的なテーマや個別学問分野に対して高まり、最適の大学選択を行うことができるようになるだろう。少し遠回りだけれど、こちらの方が将来のために有益だ。
まず、大学の学問が、文科系、理科系と分かれているのはご存知だろうか? 実際、高校の進学指導は、この二つの分野に受験生を区分することから始まる。理学部や工学部は理科系、文学や法学、経済学は文科系である。それは受験科目(数学、理科、社会)の選択でこのように区分されているからだ。
ところが事実は小説より奇なりと言う。実際は、勉強は文理を分けず相互に必要かつ重要なのである。
たとえば、経済学や地理学では数学の知識が重要視されているどころか、不可欠なものとされている。農学や工学、あるいは医学部では、エンジニアの倫理、生命倫理学や医事法学の知識が教えられるようになってきた。なぜなら、理科系出身の技術者が社会の基本的な成り立ちを知らないために、知らないうちに組織犯罪に手を染めたり、倫理上のミスをしたりすることが近年増加してきているからである。社会の仕組みがよくわからないと、立派なエンジニアにはなれない。
本来、文科系・理科系を問わず、人間が生きるためのこのような基本的な教育は、高校までに教えられるべきだと思わないだろうか? しかしながら、高校教育は大学受験中心の教育に偏しているし、多くの受験生にとっても大学が高等教育の最後の関門なので、教養を育む自分のための勉強を行う余裕はないことを痛感されていると思う。
そのため、大学に入ってから一般教養の履修で、文科系・理科系の区別なく学問を行うことの社会的意味について学ぶ、ということになっているのだろう。しかし、一般教養教育は大学教育のなかでもっとも不成功に終わったシステムで、過去十数年間に多くの教養部が廃止されたり、他の学部や大学院に吸収されてしまったりした。
しかしながら、実際には自然科学はバイオサイエンスやナノテクノロジーに代表されるようにどんどん進歩している反面、社会の常識すら知らない研究者が登場し、反倫理的な技術を開発したり、組織犯罪に発展したりするかもしれない深刻な事態は日々増えつつある。それどころか、情報技術の発達やテロリズムの暴発など、既存の人文科学や社会科学で解決できない新しい問題への取り組みが要求されるようになってきた。そこで、文化学への期待が一気に高まってきたわけである。
したがって、文化学を学ぶことに対して、次のような期待がなされている。さまざまな社会状況のダイナミックな変化に対して、①個々の社会文化現象を総合的に把握することができる、②理解に基づいて来るべき社会の姿を提言することができる、③また、そのなかで安全で充実した人生を送るための生活実践上の技術を学ぶことができる。
生活を豊かにする文化学
では、実際の文化学分野で、学生はどんなことを学んでいるのだろうか。文化学では「文化人類学」が中心になり、人文学の5大分野と言われる「哲学」「文学」「言語学」「歴史学」「地理学」、さらには、社会科学の諸領域が統合されたものになっている。文化学は、人間が創り出した有形無形を問わず、ほとんどあらゆる社会現象つまり「文化」が学問の対象になる。
ここで、一つ事例を出してみよう。「スマートフォンを利用したX、 Instagram、TikTok、LINE等のネット利用とそれが日常生活にもたらす影響」である。ちなみにこの問題は、現在の文化学を学んでいる大学の多くの研究室で、学生と教師が議論をしているテーマと言えよう。
この問題に関心のある学生は、まず身の周りの友人や気軽に話せる年長の人に話を聞く。そして、自分が感じている日々の経験からの印象が、他人が考えるものとどのような共通点や相違点があるかを明らかにする。
さらに新聞記事やネット検索によって、これらのサイトの利用とそれにまつわる報道——多くは社会欄で取り上げられる——を収集し、それを分析する。
また、図書検索やインターネットのウェブ検索を通して、すでに行われた研究(先行研究)のリストを作成する。そのなかで学生は、重要だと思う文献を図書館で借り、実際の勉強を始める。
「それガーチャー」「それな」「厳しいって」「危機感持った方がいい」は日本の固有の用語だが、スマートフォンの普及した海外の国々で類似の現象があるかどうか調べる。もし、国際間で類似と思われるものがあることを発見したら、それが日本のものと同じか否かを調べる必要がある。社会調査の手法を使ってアンケート調査を行うこともあるし、またインタビューによる調査も企画する。
それまでの予備的な勉強を通して、また自分の調査を通して、それまでの研究にないどのような資料を提供できるのかについて、少しずつ明らかにしていく。実験計画を立てて、調査が本当に必要な資料を得ることができるのか、また人間を調査対象にするわけだから倫理問題はクリアしているか、などを検討する。
文化学は、社会調査を行う際に文化人類学や社会学の方法を使うが、分析に際しては人文学の知識が総動員される。すなわち、現代社会における人間観の考察に関しては哲学や倫理学の知識が不可欠だ。
青年男女のあり方をめぐる事柄は、多くの場合、文芸ジャンル——恋愛小説など——に登場しているので、文学の分析を通して世相の変化を調べる。言語学は、男性と女性の言葉のやりとりのなかにある性別による違いを明らかにしたり、言語使用の個人差を客観的に測定したりすることができる。
歴史的には、そもそも電子情報メディアの普及の前にはあり得なかったことだから、歴史学は時代的変遷をチェックする際に有用である。
地理学での知見は、空間的分布や利用者の空間概念がネット利用でどのように変化するかを教えてくれるだろう。
そして、文化人類学は、文字通り、世界のさまざまな青年男女のあり方の人類文化についての比較資料の存在を教えてくれ、インターネットが変える人間関係のあり方や感情生活の変化を文化的に明らかにする。
文化学は、現代の世の中のさまざまな文化事象に、何よりもまず感動している感受性豊かな学生にもっともお薦めである。
文化学という学問領域に属する教育制度は、その感動を、①総合的に把握するための知識を授け、②理解に基づいて来るべき社会の姿を提言し、またそのなかで、③安全で充実した人生を送るための生活実践上の指針を、さまざまな形であなたに与えることができるだろう。
文化学のキャンパスは、あなたの生活上の何気ない感動の延長のすぐそこにある。さあ、無限の興味と具体的な目的を持って私たちと一緒に勉強しましょう!
ここで、一つ事例を出してみよう。「スマートフォンを利用したX、 Instagram、TikTok、LINE等のネット利用とそれが日常生活にもたらす影響」である。ちなみにこの問題は、現在の文化学を学んでいる大学の多くの研究室で、学生と教師が議論をしているテーマと言えよう。
この問題に関心のある学生は、まず身の周りの友人や気軽に話せる年長の人に話を聞く。そして、自分が感じている日々の経験からの印象が、他人が考えるものとどのような共通点や相違点があるかを明らかにする。
さらに新聞記事やネット検索によって、これらのサイトの利用とそれにまつわる報道——多くは社会欄で取り上げられる——を収集し、それを分析する。
また、図書検索やインターネットのウェブ検索を通して、すでに行われた研究(先行研究)のリストを作成する。そのなかで学生は、重要だと思う文献を図書館で借り、実際の勉強を始める。
「それガーチャー」「それな」「厳しいって」「危機感持った方がいい」は日本の固有の用語だが、スマートフォンの普及した海外の国々で類似の現象があるかどうか調べる。もし、国際間で類似と思われるものがあることを発見したら、それが日本のものと同じか否かを調べる必要がある。社会調査の手法を使ってアンケート調査を行うこともあるし、またインタビューによる調査も企画する。
それまでの予備的な勉強を通して、また自分の調査を通して、それまでの研究にないどのような資料を提供できるのかについて、少しずつ明らかにしていく。実験計画を立てて、調査が本当に必要な資料を得ることができるのか、また人間を調査対象にするわけだから倫理問題はクリアしているか、などを検討する。
文化学は、社会調査を行う際に文化人類学や社会学の方法を使うが、分析に際しては人文学の知識が総動員される。すなわち、現代社会における人間観の考察に関しては哲学や倫理学の知識が不可欠だ。
青年男女のあり方をめぐる事柄は、多くの場合、文芸ジャンル——恋愛小説など——に登場しているので、文学の分析を通して世相の変化を調べる。言語学は、男性と女性の言葉のやりとりのなかにある性別による違いを明らかにしたり、言語使用の個人差を客観的に測定したりすることができる。
歴史的には、そもそも電子情報メディアの普及の前にはあり得なかったことだから、歴史学は時代的変遷をチェックする際に有用である。
地理学での知見は、空間的分布や利用者の空間概念がネット利用でどのように変化するかを教えてくれるだろう。
そして、文化人類学は、文字通り、世界のさまざまな青年男女のあり方の人類文化についての比較資料の存在を教えてくれ、インターネットが変える人間関係のあり方や感情生活の変化を文化的に明らかにする。
文化学は、現代の世の中のさまざまな文化事象に、何よりもまず感動している感受性豊かな学生にもっともお薦めである。
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