何を学ぶ
私たちは誰もが幸せに暮らしたいと願っている。しかし人生ではさまざまな生活問題に直面することがあり、それを社会として解決・緩和していくための理論・方法・制度等を学ぶ。

菱沼 幹男(ひしぬま みきお)先生
日本社会事業大学/社会福祉学部福祉計画学科/教授
1971年、茨城県生まれ。日本社会事業大学大学院博士後期課程修了。社会福祉協議会、高齢者施設職員を経て、現職。専門は地域福祉。著書に『コミュニティソーシャルワーク』ほか。
慈善事業から社会事業そして社会福祉へ
「今、幸せに暮らせていますか?」
このように聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。即座に「はい」と答えられる人もいれば、現在の苦しい状況を思い起こす人もいるだろう。経済的には不自由なく暮らせていても、家族や友人などとの人間関係でつらい思いをしている人もいれば、人間関係に恵まれていても経済的に困窮している人がいるかもしれない。なかには勉強したくても家族の面倒をみなければならず、勉強時間を十分にとることができない人もいるだろう。人には、それぞれに悩みや苦しみなどがあり、社会にはさまざまな生きづらさがある。
こうしたとき、自分や周りの人びとの力で状況を打開していくことができれば人は前に進むことができる。しかし、自分たちだけでは、どうしても解決が難しい場面に直面する可能性は誰にでもある。そこで人びとは古来から助け合う仕組みを作ってきた。その営みは人類史の歩みそのものであり、慈善事業から社会事業、社会福祉へと発達してきた。
人類の歴史をさかのぼると、人びとは血縁や地縁あるいは職縁による集団を形成して生活を営み、相互扶助を行ってきた。生きるためには食糧が必要であり、したがって食糧の生産や獲得の手段を失った人びとは困窮することになる。また天災や疫病では人を選ばずに生活苦をもたらす。既存の相互扶助では対応できなくなったとき、人類は慈善という行為を生み出し、苦しい人びとの救済を行うようになった。これは宗教的な信仰心や篤志家*の倫理観など、さまざまな動機によって行われ、時に為政者の施しとして行われるときもあった。
しかし、慈善事業は行う者一人ひとりの感情を基盤にしており、その感情をゆさぶる問題には対応するが、そうでない問題は見過ごされることになる。また宗教的な慈善は、施す者は救われるという考え方から、自分の救済のために貧しい人びとを必要とするという利己的な動機が強くなることもあった。個々に委ねられた慈善事業では救済の行き過ぎや漏れも生じやすく、その問題を解決するため慈善事業を行う団体間の連絡調整も図られるようになるが、国家の関わりは限定的であった。
やがて産業革命により工場では雇用者と労働者という階層が誕生し、労働者の貧困問題が深刻になってきた。一生懸命働いている人びとがなぜ貧困になるのか。生活実態を把握するための社会調査が行われ、貧困は個人の怠惰ではなく、低賃金で長時間働かされたり、衛生状態の悪い住居によって健康を害して働けないなど、個人的な問題よりも環境的な問題が大きいことが明らかとなった。
利益を追求する資本主義社会の構造的問題として生み出される貧困に対して、慈善事業だけでは対応しきれず、社会事業として国家による公的救済や規制が始まっていく。社会事業は個人の意思に基づいた慈善とは異なり、科学的な調査によって実態を明らかにし、その問題に対して公的な制度を作り対応していくものである。しかし、初期の公的救済においては、国家による救済は働かず楽に暮らそうとする惰民を生み出すという考え方から、できるだけ国家による救済を制限し、かつ救済される人びとは、そうでない人びとよりも劣った暮らしをすべきであるという劣等処遇が行われていった。こうした意識は今日の社会においても底流している。
しかし、人類はさまざまな市民革命や世界大戦などを経て、人権という概念を生み出し、共有していった。人は誰もが尊重される存在であり、誰もが安心して暮らせる生活を保障していくことが国家の役割となる。日本では大正時代から戦後まもない時期まで社会事業という言葉が使われていたが、1946(昭和21)年公布の日本国憲法に、自由権、参政権、社会権という人権が規定され、憲法第25条第2項に「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という社会権における生存権としての社会福祉が明記された。また旧来の社会事業法が1951(昭和26)年に社会福祉事業法(2000年に社会福祉法へ改称)となり、社会福祉という用語が使われるようになっていった。現代社会における社会福祉は特定の人びとだけでなく、全ての人びとを対象としたものであり、負の歴史の反省から人類が築き上げてきたものである。
このように聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。即座に「はい」と答えられる人もいれば、現在の苦しい状況を思い起こす人もいるだろう。経済的には不自由なく暮らせていても、家族や友人などとの人間関係でつらい思いをしている人もいれば、人間関係に恵まれていても経済的に困窮している人がいるかもしれない。なかには勉強したくても家族の面倒をみなければならず、勉強時間を十分にとることができない人もいるだろう。人には、それぞれに悩みや苦しみなどがあり、社会にはさまざまな生きづらさがある。
こうしたとき、自分や周りの人びとの力で状況を打開していくことができれば人は前に進むことができる。しかし、自分たちだけでは、どうしても解決が難しい場面に直面する可能性は誰にでもある。そこで人びとは古来から助け合う仕組みを作ってきた。その営みは人類史の歩みそのものであり、慈善事業から社会事業、社会福祉へと発達してきた。
人類の歴史をさかのぼると、人びとは血縁や地縁あるいは職縁による集団を形成して生活を営み、相互扶助を行ってきた。生きるためには食糧が必要であり、したがって食糧の生産や獲得の手段を失った人びとは困窮することになる。また天災や疫病では人を選ばずに生活苦をもたらす。既存の相互扶助では対応できなくなったとき、人類は慈善という行為を生み出し、苦しい人びとの救済を行うようになった。これは宗教的な信仰心や篤志家*の倫理観など、さまざまな動機によって行われ、時に為政者の施しとして行われるときもあった。
しかし、慈善事業は行う者一人ひとりの感情を基盤にしており、その感情をゆさぶる問題には対応するが、そうでない問題は見過ごされることになる。また宗教的な慈善は、施す者は救われるという考え方から、自分の救済のために貧しい人びとを必要とするという利己的な動機が強くなることもあった。個々に委ねられた慈善事業では救済の行き過ぎや漏れも生じやすく、その問題を解決するため慈善事業を行う団体間の連絡調整も図られるようになるが、国家の関わりは限定的であった。
やがて産業革命により工場では雇用者と労働者という階層が誕生し、労働者の貧困問題が深刻になってきた。一生懸命働いている人びとがなぜ貧困になるのか。生活実態を把握するための社会調査が行われ、貧困は個人の怠惰ではなく、低賃金で長時間働かされたり、衛生状態の悪い住居によって健康を害して働けないなど、個人的な問題よりも環境的な問題が大きいことが明らかとなった。
利益を追求する資本主義社会の構造的問題として生み出される貧困に対して、慈善事業だけでは対応しきれず、社会事業として国家による公的救済や規制が始まっていく。社会事業は個人の意思に基づいた慈善とは異なり、科学的な調査によって実態を明らかにし、その問題に対して公的な制度を作り対応していくものである。しかし、初期の公的救済においては、国家による救済は働かず楽に暮らそうとする惰民を生み出すという考え方から、できるだけ国家による救済を制限し、かつ救済される人びとは、そうでない人びとよりも劣った暮らしをすべきであるという劣等処遇が行われていった。こうした意識は今日の社会においても底流している。
しかし、人類はさまざまな市民革命や世界大戦などを経て、人権という概念を生み出し、共有していった。人は誰もが尊重される存在であり、誰もが安心して暮らせる生活を保障していくことが国家の役割となる。日本では大正時代から戦後まもない時期まで社会事業という言葉が使われていたが、1946(昭和21)年公布の日本国憲法に、自由権、参政権、社会権という人権が規定され、憲法第25条第2項に「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という社会権における生存権としての社会福祉が明記された。また旧来の社会事業法が1951(昭和26)年に社会福祉事業法(2000年に社会福祉法へ改称)となり、社会福祉という用語が使われるようになっていった。現代社会における社会福祉は特定の人びとだけでなく、全ての人びとを対象としたものであり、負の歴史の反省から人類が築き上げてきたものである。
福祉と社会福祉
社会福祉という言葉から「介護」をイメージする人も少なくないが、こうした歴史からみると、狭いとらえ方であると理解できるだろう。社会福祉は、社会として人びとの生活を支えるものである。この「社会」のとらえ方が重要であり、「福祉」と「社会福祉」の違いを整理しておく。「福祉」という漢字の語源をたどると「福」は「神から授かった酒を容れる壺」という意味があり、「祉」は「神による恩恵がとどまっている」状態を表している。このことから「福祉」とは満ち足りた状態が続いていることであり「幸せ」と置き換えられる。
「社会福祉」は、この一人ひとりの幸せを社会として護り、育むことであり、この「社会」には二つの意味がある。一つは社会制度であり、もう一つは同じ社会に生きる人びとである。
今日の日本では、生活保護法や介護保険法など、多様な法律や制度によって人びとの生活を支えている。しかし、実際の生活において私たちが困りごとに直面したとき、制度による支援だけで解決しているわけではない。これまで育んできた人間関係による手助けや民間市場のサービスなど、多様な手段によって解決しているのである。こうした人びとの相互扶助機能を社会として大切に育み、それだけでは解決できない場合に、公的な機関がしっかりと生活を支える仕組みが必要であり、社会福祉はこの双方を含んだものである。
社会福祉の道を選ぶとは、一人ひとりの幸せに携わる人生を送ることでもある。さまざまな生きづらさに寄り添い、公的な支援制度や民間の社会資源を活用し、安心して暮らせる社会を築いていく仕事である。
「社会福祉」は、この一人ひとりの幸せを社会として護り、育むことであり、この「社会」には二つの意味がある。一つは社会制度であり、もう一つは同じ社会に生きる人びとである。
今日の日本では、生活保護法や介護保険法など、多様な法律や制度によって人びとの生活を支えている。しかし、実際の生活において私たちが困りごとに直面したとき、制度による支援だけで解決しているわけではない。これまで育んできた人間関係による手助けや民間市場のサービスなど、多様な手段によって解決しているのである。こうした人びとの相互扶助機能を社会として大切に育み、それだけでは解決できない場合に、公的な機関がしっかりと生活を支える仕組みが必要であり、社会福祉はこの双方を含んだものである。
社会福祉の道を選ぶとは、一人ひとりの幸せに携わる人生を送ることでもある。さまざまな生きづらさに寄り添い、公的な支援制度や民間の社会資源を活用し、安心して暮らせる社会を築いていく仕事である。
社会福祉を担う専門職
社会福祉を担う専門職として日本では社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士、保育士という国家資格がある。これらの国家資格は各法律において下表のように規定されている(表1を参照)。
これらの資格はいずれも名称独占資格であり、業務独占資格ではない。業務独占資格とは、たとえば医師や看護師などであり、有資格者しかその業務を行うことができない。それに対して、社会福祉関係の資格は名称独占資格であり、有資格者しかその名称を使用することはできないが、同様な業務は無資格者も行うことができる。だからと言って、資格が不要なわけではない。これらの資格を取得するためには、大学などの養成校での講義、演習、実習をクリアして受験資格を取得し、さらに国家試験に合格する必要がある。社会福祉関係の国家資格を有しているということは、こうした学びと経験を積み重ね、人の人生に関わる責任を果たす上で必要な知識と技術を身につけていることの証でもある。
それぞれの受験資格を取得するために必要な履修科目も法律で定められている。社会福祉士と精神保健福祉士の養成課程は改正が行われ、2021年度の入学者から新しいカリキュラムでの授業が始まっている。社会福祉士を例に挙げると次頁の表のようなカリキュラムとなっている(P.419の表2を参照)。
社会福祉系の大学選択においては、どの大学でどの資格を取得できるかを調べておく必要がある。さらに各校の合格者数や合格率も公表されることから、大学によっては成績が優れている者だけが受験できるようにしているところもあり、大学選びにおいて留意する必要がある。
これらの国家資格を生かす職場も多様に広がっている。公務員や社会福祉施設職員の他、学校のスクールソーシャルワーカー、医療機関のメディカルソーシャルワーカー、社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーカー(地域福祉コーディネーター)等、多様な仕事がある。大学によっては専門コースを設けており、各大学でどのような学びができるか、ホームページやパンフレット等で確認しておくことが望ましい。
これらの資格はいずれも名称独占資格であり、業務独占資格ではない。業務独占資格とは、たとえば医師や看護師などであり、有資格者しかその業務を行うことができない。それに対して、社会福祉関係の資格は名称独占資格であり、有資格者しかその名称を使用することはできないが、同様な業務は無資格者も行うことができる。だからと言って、資格が不要なわけではない。これらの資格を取得するためには、大学などの養成校での講義、演習、実習をクリアして受験資格を取得し、さらに国家試験に合格する必要がある。社会福祉関係の国家資格を有しているということは、こうした学びと経験を積み重ね、人の人生に関わる責任を果たす上で必要な知識と技術を身につけていることの証でもある。
それぞれの受験資格を取得するために必要な履修科目も法律で定められている。社会福祉士と精神保健福祉士の養成課程は改正が行われ、2021年度の入学者から新しいカリキュラムでの授業が始まっている。社会福祉士を例に挙げると次頁の表のようなカリキュラムとなっている(P.419の表2を参照)。
社会福祉系の大学選択においては、どの大学でどの資格を取得できるかを調べておく必要がある。さらに各校の合格者数や合格率も公表されることから、大学によっては成績が優れている者だけが受験できるようにしているところもあり、大学選びにおいて留意する必要がある。
これらの国家資格を生かす職場も多様に広がっている。公務員や社会福祉施設職員の他、学校のスクールソーシャルワーカー、医療機関のメディカルソーシャルワーカー、社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーカー(地域福祉コーディネーター)等、多様な仕事がある。大学によっては専門コースを設けており、各大学でどのような学びができるか、ホームページやパンフレット等で確認しておくことが望ましい。
社会福祉実践としてのソーシャルワーク
社会福祉士と精神保健福祉士はソーシャルワーカー、介護福祉士と保育士はケアワーカーと呼ばれることもあり、これらの呼称は日本だけでなく、世界各国において使用されている。ソーシャルワークは、ソーシャルワーカーだけでなく、ケアワーカーの専門性の根底にも位置づけられるものであり、4年制の大学で社会福祉を学ぶということは、いかなる資格取得や就職先を目指すとしても、その基盤にソーシャルワークの価値、知識、技術を身につけるということでもある。
ソーシャルワークは、人が人を支援する営みのなかから、より望ましい関わり方を見いだすなかで理論と方法が構築されてきた。たとえば、目の前に経済的に貧しい人がいた場合、あなたはどうするだろうか。自分にはどうすることもできないという思いから通りすぎたり、誰かが助けるだろうと他人任せにしたり、自業自得だと考えて手助けしない自分を正当化する人もいるかもしれない。一方で、社会福祉に関心を持ち、このページを読んでいる方々のなかには、何とかしたいという思いから自ら金銭や物品の援助をしようとする人びともいるだろう。しかし、そうした援助は一時しのぎに過ぎない。根本的に貧困な状態から抜け出して、安定的な生活を営めるようにすることが重要であり、社会福祉の専門職の立場からは、なぜ経済的に困窮しているのか、その原因を把握して解決に向けて必要な手立てを考え、さまざまな社会資源を活用あるいは開発していくことが必要である。ソーシャルワークの基本的な考え方は、相手に代わって問題解決をするのではなく、相手自身が問題に対処していけるように支援するということである。
そのため「私がいなければこの人は生活できない」というような状況を作ってしまう支援者はソーシャルワーカーとは呼べない。また、支援者自身がその立場に優位性を感じたいために支援欲求を満たす対象として相手を見たり、支援を受ける人びとに対して支援者の思うとおりに行動する従順さと謙虚さを求めるような支配欲が優先されてはならない。優しい表情をしながら、相手のことよりも自分の感情を満たそうとする支援者は、ソーシャルワーカーではなく偽善者である。もちろん相手の役に立ちたいという思いや相手から感謝される喜びは、社会福祉の仕事において大切なものである。しかし、必要な支援は相手を生かし、必要以上の支援は相手の力を奪うことを忘れてはならない。
このように人が人を支援する上で支援者が留意しなければならないことがあり、相手の状況によってかかわり方も異なる。ソーシャルワーカーはさまざまな社会資源を活用して支援を行うものであり、社会福祉だけでなく、生活支援に関する法律や制度、公的機関や専門職、民間活動など、幅広い知識やネットワークが求められる。時には社会調査を行い、統計的な分析を行う場合もある。そのため国家資格の養成課程では多様な科目が必修とされている。ただし、実際の現場では、一人のソーシャルワーカーや一つの機関だけで支援が完結するわけでなく多機関多職種の連携による支援が重要である。
ソーシャルワークは、人が人を支援する営みのなかから、より望ましい関わり方を見いだすなかで理論と方法が構築されてきた。たとえば、目の前に経済的に貧しい人がいた場合、あなたはどうするだろうか。自分にはどうすることもできないという思いから通りすぎたり、誰かが助けるだろうと他人任せにしたり、自業自得だと考えて手助けしない自分を正当化する人もいるかもしれない。一方で、社会福祉に関心を持ち、このページを読んでいる方々のなかには、何とかしたいという思いから自ら金銭や物品の援助をしようとする人びともいるだろう。しかし、そうした援助は一時しのぎに過ぎない。根本的に貧困な状態から抜け出して、安定的な生活を営めるようにすることが重要であり、社会福祉の専門職の立場からは、なぜ経済的に困窮しているのか、その原因を把握して解決に向けて必要な手立てを考え、さまざまな社会資源を活用あるいは開発していくことが必要である。ソーシャルワークの基本的な考え方は、相手に代わって問題解決をするのではなく、相手自身が問題に対処していけるように支援するということである。
そのため「私がいなければこの人は生活できない」というような状況を作ってしまう支援者はソーシャルワーカーとは呼べない。また、支援者自身がその立場に優位性を感じたいために支援欲求を満たす対象として相手を見たり、支援を受ける人びとに対して支援者の思うとおりに行動する従順さと謙虚さを求めるような支配欲が優先されてはならない。優しい表情をしながら、相手のことよりも自分の感情を満たそうとする支援者は、ソーシャルワーカーではなく偽善者である。もちろん相手の役に立ちたいという思いや相手から感謝される喜びは、社会福祉の仕事において大切なものである。しかし、必要な支援は相手を生かし、必要以上の支援は相手の力を奪うことを忘れてはならない。
このように人が人を支援する上で支援者が留意しなければならないことがあり、相手の状況によってかかわり方も異なる。ソーシャルワーカーはさまざまな社会資源を活用して支援を行うものであり、社会福祉だけでなく、生活支援に関する法律や制度、公的機関や専門職、民間活動など、幅広い知識やネットワークが求められる。時には社会調査を行い、統計的な分析を行う場合もある。そのため国家資格の養成課程では多様な科目が必修とされている。ただし、実際の現場では、一人のソーシャルワーカーや一つの機関だけで支援が完結するわけでなく多機関多職種の連携による支援が重要である。
地域共生社会の実現に向けて
現在の社会福祉に関する法律の多くは戦後整備されたものであり、高齢者、障害者、児童など、対象者別になっている。それは、かつて社会福祉としての支援は、同じ問題をかかえた人々を社会福祉施設に保護、収容して行うという考え方に基づいていたためである。しかし、1980年代に入り、どんな障害があってもほかの人と同じように暮らせることを目指すノーマライゼーションの理念が世界的に広がり、日本でも住み慣れた家や地域で暮らし続けることの大切さから、1990年にはホームヘルパーやデイサービスなどの在宅福祉サービスが制度化されてきた。
在宅での生活は一人ひとり異なり、時には問題をかかえた家族が同居していることもある。たとえば、要介護の高齢者の介護を精神疾患のある家族が担い、その家庭には不登校の子も同居し、経済的に困窮しているような場合もある。このように一つの家庭にさまざまな問題がある場合、各支援者がバラバラではなく、連携して支援する必要がある。
そこで近年、国では包括的支援体制を各市町村において構築し、多機関多職種の連携による支援を始めている。そして生きづらさをかかえた人びとが排除されることのない地域づくりを目指している。これらは、地域共生社会の実現に向けた取り組みであり、今後の社会福祉において重要な柱となっている。
自分の人生を誰もが幸せに暮らせる社会のために生きるという選択肢が社会福祉の仕事にはある。それは、あなたの思いと行動が出会った人びとの笑顔につながる仕事である。
在宅での生活は一人ひとり異なり、時には問題をかかえた家族が同居していることもある。たとえば、要介護の高齢者の介護を精神疾患のある家族が担い、その家庭には不登校の子も同居し、経済的に困窮しているような場合もある。このように一つの家庭にさまざまな問題がある場合、各支援者がバラバラではなく、連携して支援する必要がある。
そこで近年、国では包括的支援体制を各市町村において構築し、多機関多職種の連携による支援を始めている。そして生きづらさをかかえた人びとが排除されることのない地域づくりを目指している。これらは、地域共生社会の実現に向けた取り組みであり、今後の社会福祉において重要な柱となっている。
自分の人生を誰もが幸せに暮らせる社会のために生きるという選択肢が社会福祉の仕事にはある。それは、あなたの思いと行動が出会った人びとの笑顔につながる仕事である。
*篤志家(とくしか)=特に、公共の事業・慈善事業などに熱心で、協力・援助を惜しまない人。


