何を学ぶ
あらゆる生命現象の不思議に迫る学問。得られた知見はほかの学問分野と密接に結びついて学際領域を形成し、現代社会を支えている。生物学の進展なくして、現代社会の発展なし。
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石川 香(いしかわ かおり)先生
筑波大学/生命環境系/准教授
1981年茨城県生まれ。筑波大学大学院生命環境科学研究科修了。博士(理学)。日本学術振興会特別研究員(DC1)、武田薬品工業株式会社の研究員を経て2014年より筑波大学生命環境系助教、2024年より現職。専門はミトコンドリアの生物学。
生物学発展の歴史
生物学は、今では「あらゆる生命現象を探求する学問」と定義づけられている。しかしこのような学問観になったのは比較的最近のことだ。その源流は紀元前にアリストテレスが記した『動物誌』に遡り、周囲の生き物を観察し、分類して記載する博物学にある。この博物学から、生き物はいかにして生きているのか、という生命の仕組みの探求へと舵を切る大きなきっかけになったのは、19世紀のダーウィンによる進化論の提唱と、メンデルによる遺伝の基本原理の発見である。いずれも、親から子へ伝わり、徐々に変化していく生き物の設計図・遺伝子の本質に迫るものであったからだ。その後、この遺伝子の本体がDNAという物質であること、そしてその二重らせん構造そのものが遺伝子としての機能を見事に体現していることが理解され、生き物の仕組みを物質的な基盤から理解しようとする分子生物学という学問が確立した。
分子生物学は急速に進展し、それまで生命の神秘とされてきたさまざまな生命現象が、物理や化学の法則に則った分子の動きや反応として説明可能であることが示されてきた。そうした知識や技術の蓄積は、生物そのものや生物がもつタンパク質などの生体物質を応用して人間社会に役立てようとするバイオテクノロジーの発展をもたらした。バイオテクノロジーは、醸造や発酵の分野では古くから活用されてきたが、近年では医薬品や再生医療への応用として医学分野、遺伝子組換え作物や生物農薬などで農業分野、バイオ燃料や生物材料などで工業分野や環境分野など、非常に多くの分野と密接に結びついてその発展に貢献している。今や、バイオテクノロジーと無縁の現代社会は考えられない。
このように、生物学は純粋に生命現象を理解しようとする基礎科学として発展してきたが、その理解が深まるにつれて得られた知識や技術が生物学の垣根を越えて多くの分野で活用されており、今後もその流れはより拡大・加速すると思われる。理系・文系を問わず、現代人にとって、生物学は重要な教養であると言えるだろう。
分子生物学は急速に進展し、それまで生命の神秘とされてきたさまざまな生命現象が、物理や化学の法則に則った分子の動きや反応として説明可能であることが示されてきた。そうした知識や技術の蓄積は、生物そのものや生物がもつタンパク質などの生体物質を応用して人間社会に役立てようとするバイオテクノロジーの発展をもたらした。バイオテクノロジーは、醸造や発酵の分野では古くから活用されてきたが、近年では医薬品や再生医療への応用として医学分野、遺伝子組換え作物や生物農薬などで農業分野、バイオ燃料や生物材料などで工業分野や環境分野など、非常に多くの分野と密接に結びついてその発展に貢献している。今や、バイオテクノロジーと無縁の現代社会は考えられない。
このように、生物学は純粋に生命現象を理解しようとする基礎科学として発展してきたが、その理解が深まるにつれて得られた知識や技術が生物学の垣根を越えて多くの分野で活用されており、今後もその流れはより拡大・加速すると思われる。理系・文系を問わず、現代人にとって、生物学は重要な教養であると言えるだろう。
生物学の「基礎」と「応用」
学問には、社会の役に立つことを目的としているものと、そうでないものがある。前項でも述べた通り、生物学は、もともとは生命現象の不思議を解き明かしたい、という純粋な知的好奇心によって発展してきた学問であり、得られた知識が世の中の役に立つかどうかは大きな問題ではなかった。こうした純粋な好奇心や探求心によって掘り下げられていく基礎科学としての生物学に対し、近年ではその知識を人や社会に役立てようとする応用科学としての生物学も、多数の分野を巻き込んで大きな広がりを見せている。
近年は、とかく「役に立つ」学問が奨励される傾向にあり、学生の志望学部なども応用系の学部に人気が集まりやすい。しかし、応用系の学問分野の発展を支えているのは、紛れもなく基礎科学の知識の集積である。現在応用科学として他分野との学際領域の形成に寄与している生物学の成果も、もともとは基礎科学の生物学で得られた知見を発展させたものであり、それらが基礎科学として研究されていた時点では必ずしも「役に立つ」ことを見据えていたわけではない。有名な例は、ノーベル賞を受賞した大隅博士のオートファジー研究や、下村博士のGFPの発見などである。酵母の細胞内で起こる自食作用の研究や、オワンクラゲの光るタンパク質の発見は、当時は純粋な探求心や好奇心によって得られた成果や知見であり、何かの役に立てようという動機づけでなされた研究ではなかった。しかし、オートファジーが酵母だけでなくヒトの細胞でも重要なはたらきをしていて、その異常が多くの疾患の発症に関わっていることが明らかになると、一気に医学への応用研究が進んだし、GFPは今やさまざまなタンパク質などの存在場所を“見える化”するために欠かせないツールとして広く活用されている。つまり、基礎科学としての生物学(現時点で、何の役に立つのかわからない研究)の積み重ねなくして、役に立つ応用科学としての生物学の未来はないのである。さらに言うなら、最終的に役に立たなかったからと言って、その研究が優れていないということにもならない。そもそも科学とは知的好奇心に基づく探究活動であり、発見する・知る・理解するといった活動そのものに大いなる意義と動機づけがある。だから、学生の皆さんにはぜひ、役に立たないものは学んでも意味がないといった短絡的な思考にとらわれず、自分自身の「知りたい・学びたい」という純粋な欲求に正直になっていただきたい。
近年は、とかく「役に立つ」学問が奨励される傾向にあり、学生の志望学部なども応用系の学部に人気が集まりやすい。しかし、応用系の学問分野の発展を支えているのは、紛れもなく基礎科学の知識の集積である。現在応用科学として他分野との学際領域の形成に寄与している生物学の成果も、もともとは基礎科学の生物学で得られた知見を発展させたものであり、それらが基礎科学として研究されていた時点では必ずしも「役に立つ」ことを見据えていたわけではない。有名な例は、ノーベル賞を受賞した大隅博士のオートファジー研究や、下村博士のGFPの発見などである。酵母の細胞内で起こる自食作用の研究や、オワンクラゲの光るタンパク質の発見は、当時は純粋な探求心や好奇心によって得られた成果や知見であり、何かの役に立てようという動機づけでなされた研究ではなかった。しかし、オートファジーが酵母だけでなくヒトの細胞でも重要なはたらきをしていて、その異常が多くの疾患の発症に関わっていることが明らかになると、一気に医学への応用研究が進んだし、GFPは今やさまざまなタンパク質などの存在場所を“見える化”するために欠かせないツールとして広く活用されている。つまり、基礎科学としての生物学(現時点で、何の役に立つのかわからない研究)の積み重ねなくして、役に立つ応用科学としての生物学の未来はないのである。さらに言うなら、最終的に役に立たなかったからと言って、その研究が優れていないということにもならない。そもそも科学とは知的好奇心に基づく探究活動であり、発見する・知る・理解するといった活動そのものに大いなる意義と動機づけがある。だから、学生の皆さんにはぜひ、役に立たないものは学んでも意味がないといった短絡的な思考にとらわれず、自分自身の「知りたい・学びたい」という純粋な欲求に正直になっていただきたい。
大学における生物学の分野と内容
大学の生物学科で一般的に開講されている主要な分野は、図の黒枠内に記されたものだ。
系統分類学や進化学、生態学は生物学のなかでも特に伝統的な分野だ。系統分類学や進化学では、過去から現在に至るまでの時間軸に沿った生き物の系統関係や進化を研究し、今生きている生き物の成り立ちを知ろうとする。生態学では生き物同士が種内あるいは種間でどのような相互作用をもち、生息する環境においてどのような影響を受け、生物群としてどのように振る舞っているのかを、フィールドワークでの調査やそれをもとに構築した数理モデルなどによって明らかにしようとする。
発生学は、たった一つの細胞である受精卵から動物や植物などの多細胞生物がいかにして形作られていくのかを追求する。遺伝学は、古典的には親個体の形質がどのように子へ伝わっていくのかを解明する学問で、育種や品種改良などとともに発展してきたが、遺伝子の本体がDNAであることが発見されて以降は、遺伝子がどのような仕組みで発現し機能しているかを分子レベルで理解しようとする機運が高まっている。その点で、生命現象全般を分子レベルで解明しようとする分子生物学とのつながりが深い。細胞生物学は、生命の基本単位である細胞の形態や構造、細胞内に含まれているミトコンドリアや葉緑体といった小器官のはたらきなどを研究対象とし、生理学は、生物の体内でどのようにして恒常性が維持されているのかを解明しようとする。ゲノム生物学は、DNAの塩基配列情報を解読する技術の飛躍的な向上によってゲノム情報が容易に得られるようになった今世紀初頭から急速に発展した新しい分野で、ゲノム情報を異なる生物間で比較解析することを通じて生命現象の多様性や普遍性の源に迫る学問だ。
こうした生物学分野を細分化した学問領域に加え、ほかの学問とも関連が深い学際領域の学問も、多くの大学の生物学科で授業として取り扱われている。代表的なものが、バイオインフォマティクスだ。生物のゲノム情報や遺伝子あるいはタンパク質の発現量を網羅的に解析した膨大なデータから有用な情報を引き出すための統計処理を施したり、一定のアルゴリズムに基づいて解析を行ったりして、コンピュータを活用して生命現象の解明を目指す。情報学のみならず数学や物理学、化学ともつながりが深く、工学や医学など応用系の学問とも密接に関わる学際領域である。そのほか、数学、物理学、化学、地学といった理学分野との学際領域として、それぞれ数理生物学、生物物理学、生化学、古生物学や生物地理学などがある。
大学で扱われる生物学の主要な学問分野について列記したが、イメージをつかみにくいかもしれないので、紹介した各学問分野で取り組まれ得る代表的な研究課題の一例を、下記に列記する。あくまでイメージしやすくするための一例であり、その分野全体を説明しきれるものではないし、ほかの分野とも無関係でないことを念頭に置いてほしい。なお、これらの学問同士の垣根は年々低くなっており、どの分野も他分野と深いつながりをもちながら生物学全体、さらにはほかの学問領域との学際分野全体の発展に貢献している。
系統分類学:本州に生息する鳥類のうち、沖縄固有種のヤンバルクイナともっとも近縁の種はどれか?
進化学:もともと同種だった個体の間で生殖的隔離が起こるためには、どのような条件が必要か?
生態学:リニア新幹線のためのトンネル工事は、近隣に生息する生き物にどのような影響を与えるか?
発生学:昆虫の蛹のなかでは、どのようにして幼虫のからだが成虫のからだへと変化しているのか?
遺伝学:DNAの特定領域のメチル化を阻害したら、遺伝子の発現にどのような影響が出るだろうか?
分子生物学:がん化すると、細胞分裂が止まらなくなるのはなぜか?
細胞生物学:神経細胞の細胞体からシナプスへの物質輸送はどのような仕組みで行われているのか?
生理学:塩分を過剰に摂取した場合、余分な塩分はどのようにして体外に排出されるのか?
ゲノム生物学:全ての哺乳動物に共通する遺伝子のセットとはどのようなものか?
バイオインフォマティクス:薬剤Aの投与によってもっとも活性化する代謝経路はどれか?
生物物理学:ヘモグロビンは、どのような物理的特性によって酸素と結合したり解離したりするのか?
数理生物学:外出自粛などの行動制限を行う場合と行わない場合で、新型コロナウイルス感染症の感染者数の推移にどのような違いがあるか?
生化学:もっとも代謝回転数(反応効率)が高い酵素が、1秒当たりに処理できる基質の数はどの程度か?
古生物学:もっとも古い陸生植物は、およそ何年前に生息していたか?
生物地理学:有袋類の生息域が限られているのはなぜか?
系統分類学や進化学、生態学は生物学のなかでも特に伝統的な分野だ。系統分類学や進化学では、過去から現在に至るまでの時間軸に沿った生き物の系統関係や進化を研究し、今生きている生き物の成り立ちを知ろうとする。生態学では生き物同士が種内あるいは種間でどのような相互作用をもち、生息する環境においてどのような影響を受け、生物群としてどのように振る舞っているのかを、フィールドワークでの調査やそれをもとに構築した数理モデルなどによって明らかにしようとする。
発生学は、たった一つの細胞である受精卵から動物や植物などの多細胞生物がいかにして形作られていくのかを追求する。遺伝学は、古典的には親個体の形質がどのように子へ伝わっていくのかを解明する学問で、育種や品種改良などとともに発展してきたが、遺伝子の本体がDNAであることが発見されて以降は、遺伝子がどのような仕組みで発現し機能しているかを分子レベルで理解しようとする機運が高まっている。その点で、生命現象全般を分子レベルで解明しようとする分子生物学とのつながりが深い。細胞生物学は、生命の基本単位である細胞の形態や構造、細胞内に含まれているミトコンドリアや葉緑体といった小器官のはたらきなどを研究対象とし、生理学は、生物の体内でどのようにして恒常性が維持されているのかを解明しようとする。ゲノム生物学は、DNAの塩基配列情報を解読する技術の飛躍的な向上によってゲノム情報が容易に得られるようになった今世紀初頭から急速に発展した新しい分野で、ゲノム情報を異なる生物間で比較解析することを通じて生命現象の多様性や普遍性の源に迫る学問だ。
こうした生物学分野を細分化した学問領域に加え、ほかの学問とも関連が深い学際領域の学問も、多くの大学の生物学科で授業として取り扱われている。代表的なものが、バイオインフォマティクスだ。生物のゲノム情報や遺伝子あるいはタンパク質の発現量を網羅的に解析した膨大なデータから有用な情報を引き出すための統計処理を施したり、一定のアルゴリズムに基づいて解析を行ったりして、コンピュータを活用して生命現象の解明を目指す。情報学のみならず数学や物理学、化学ともつながりが深く、工学や医学など応用系の学問とも密接に関わる学際領域である。そのほか、数学、物理学、化学、地学といった理学分野との学際領域として、それぞれ数理生物学、生物物理学、生化学、古生物学や生物地理学などがある。
大学で扱われる生物学の主要な学問分野について列記したが、イメージをつかみにくいかもしれないので、紹介した各学問分野で取り組まれ得る代表的な研究課題の一例を、下記に列記する。あくまでイメージしやすくするための一例であり、その分野全体を説明しきれるものではないし、ほかの分野とも無関係でないことを念頭に置いてほしい。なお、これらの学問同士の垣根は年々低くなっており、どの分野も他分野と深いつながりをもちながら生物学全体、さらにはほかの学問領域との学際分野全体の発展に貢献している。
系統分類学:本州に生息する鳥類のうち、沖縄固有種のヤンバルクイナともっとも近縁の種はどれか?
進化学:もともと同種だった個体の間で生殖的隔離が起こるためには、どのような条件が必要か?
生態学:リニア新幹線のためのトンネル工事は、近隣に生息する生き物にどのような影響を与えるか?
発生学:昆虫の蛹のなかでは、どのようにして幼虫のからだが成虫のからだへと変化しているのか?
遺伝学:DNAの特定領域のメチル化を阻害したら、遺伝子の発現にどのような影響が出るだろうか?
分子生物学:がん化すると、細胞分裂が止まらなくなるのはなぜか?
細胞生物学:神経細胞の細胞体からシナプスへの物質輸送はどのような仕組みで行われているのか?
生理学:塩分を過剰に摂取した場合、余分な塩分はどのようにして体外に排出されるのか?
ゲノム生物学:全ての哺乳動物に共通する遺伝子のセットとはどのようなものか?
バイオインフォマティクス:薬剤Aの投与によってもっとも活性化する代謝経路はどれか?
生物物理学:ヘモグロビンは、どのような物理的特性によって酸素と結合したり解離したりするのか?
数理生物学:外出自粛などの行動制限を行う場合と行わない場合で、新型コロナウイルス感染症の感染者数の推移にどのような違いがあるか?
生化学:もっとも代謝回転数(反応効率)が高い酵素が、1秒当たりに処理できる基質の数はどの程度か?
古生物学:もっとも古い陸生植物は、およそ何年前に生息していたか?
生物地理学:有袋類の生息域が限られているのはなぜか?
生物学科が求める学生とその進路
生物学科は、
①生き物や生命現象に対して高い興味関心があり、知的好奇心や探求心をもってそれらの観察や実験に意欲的に取り組める学生
②正解のない課題を自ら設定し、その解明に向かって粘り強く努力できる学生
③課題解決を目指す研究室チームの一員として優れたコミュニケーション能力を有する学生
の入学を期待している。生物学に限らず、科学とは未知の課題に取り組む探究活動なので、正解がない。受験勉強のように想定された模範解答も王道の解法もないので、自ら主体的に考えて粘り強く取り組む姿勢が求められる。こうした能力は、科学の分野だけでなく、社会におけるあらゆる課題解決能力に直結しており、大学でその能力を身につけた学生は、職種の文理を問わず、広く社会で活躍できる。
生物学科を卒業した学生の多くは、大学院に進学し、修了後は大学や企業等の研究職、中高の教員や学芸員、公務員、マスコミや出版社の科学部門担当者などとして活躍している。
①生き物や生命現象に対して高い興味関心があり、知的好奇心や探求心をもってそれらの観察や実験に意欲的に取り組める学生
②正解のない課題を自ら設定し、その解明に向かって粘り強く努力できる学生
③課題解決を目指す研究室チームの一員として優れたコミュニケーション能力を有する学生
の入学を期待している。生物学に限らず、科学とは未知の課題に取り組む探究活動なので、正解がない。受験勉強のように想定された模範解答も王道の解法もないので、自ら主体的に考えて粘り強く取り組む姿勢が求められる。こうした能力は、科学の分野だけでなく、社会におけるあらゆる課題解決能力に直結しており、大学でその能力を身につけた学生は、職種の文理を問わず、広く社会で活躍できる。
生物学科を卒業した学生の多くは、大学院に進学し、修了後は大学や企業等の研究職、中高の教員や学芸員、公務員、マスコミや出版社の科学部門担当者などとして活躍している。

